小学校時代の出来事である。
クラスの中で、特に風変わりなのは、Mくんである。授業中によく奇声を発していた。「ギェー」とか「グォッ・グォッ」とかいうような、いかにも気味悪い声で、そのたびに授業は中断されてしまう。みんなが次々に彼の席を振り返っては、「うるさいのう」「静かにせえや」などと口走りながら、彼を睨みつけるからである。そんな時、Mくんは口を横一文字に結んで、苦虫を噛み潰したような顔をする。そんな訳で、Mくんはみんなから、あまり良い印象は持たれていなかった。
ある帰り道、僕はMくんの姿を見かけた。いつもMくんは一人ぼっちだった。同じ一区の帰り友達であることも手伝って、思いきって話しかけてみた。
「のうMくん、何でいつもあがあにいなげな声出すんや?」
「わしゃあ、いなげな声なんか出しとりゃあせん」
Mくんは、いつも見せるばつの悪そうな顔をしながら、つっけんどんに答えた。
「じゃけどMくん。みんないやがっとるんで」
「そがあなこたあ知るかい。出るもなあしょうがなかろうがい。自然現象じゃけえ。屁ばるのといっしょじゃけえ」
彼の語気は少し荒びた。
「みんながMくんのことをいなげな奴じゃと思うても良えんか?」
Mくんは黙ったまま、道の小石を蹴っていた。
「じゃけど、わしゃあ席もドベじゃし、勉強もえっとできる方じゃないし、ソフトもドッヂも下手じゃし……」
「Mくんは大きゅうなったらカキ屋になるん?」
Mくんはカキ屋の息子だったのである。
「わしゃあ、あがあな臭い所で働くんはいやじゃ。そんなんより……できたらわしゃあ科学者になりたいんじゃ。わしゃあ理科が好きなけえ……星の名前やら元素記号やら覚えるんがの」
「元素記号いうて?」
「中学に行っとる兄貴の教科書に出とったんじゃがの。空気やら水やら人間の体やらは、みな元素っちゅうもんが集まってできとるんじゃ」
「ふうん」
「ほいで、その元素にゃあ、みな記号があるんじゃ。酸素はH、水素はO、それが集まってH2Oちゅう水ができるんじゃ」
Mくんは、急に舌が滑らかになったようだった。
「へええ、ほうなん……のうMくん、明日、もちいと詳しゅう教えてくれんか?」
「え?」
Mくんは、とても意外そうな顔をした。
「わしも、知りたいんじゃ」
「ほいなら明日、書いてきちゃげるよう」
「うん。絶対にの」
「みやすいことよ!」
Mくんは、弾んだ声で言葉を返した。
翌朝、Mくんは僕をみつけると、にこにこしながら近づいてきた。
「これ」
Mくんは、手に持った紙切れを僕に差し出した。見るとそこには、元素らしきものの名前と記号がぎっしり書いてあった。
「こがぁにようけあるん?」
僕は目を見張らせてそう言った。
「まだまだあるんじゃろうが、こんだけしか出とらんかったけ」
「Mくん、これみな覚えとるんか?」
「うん」
「ほんま?じゃあ当ててみいよ。わしが言うたるけえ」
「うん。ええよ」
「カ・ル・シ・ウ・ム」
「Ca」
「マ・グ・ネ・シ・ウ・ム」
「Mg」
「カ・リ・ウ・ム」
「K」
「ちっ・そ」
「N」
「た・ん・そ」
「C」
「みな合うとらあや!すごいのう」
他の子供たちも、何事かとドヤドヤ集まってきた。
「みんな、元素いうもの知っとるか?」
勿論、誰もが首を横に振るばかりだった。
「物はみな元素いうものから出来とるらしいんじゃ。Mくんはそりょを全部覚えとるんでえ」
一同は驚きの表情を顔に宿した。Mくんは皆の質問にも全て答えることができた。皆は目を丸くするばかりだった。Mくんは、疑惑を確信に変えた。Mくんはますます得意がって、星座のことについても講義し始めた。その日からMくんは、もう奇声を発したりしなくなった。