英語学習とアイデンティティ

 

これから書くのはかなりふわっとした内容です。また英語講師としてではなく、英語学習者としての意見です。
私自身、人様に教えられる最低限の英語力(TOEICで950)はありますが、とても英語をマスターした!とは言えませんし、まだまだ英語学習は続けないといけません。
そして一人の英語学習者として以下のようなことを感じています。

当たり前ですが、英語母語話者は、英語を外国語や第二言語として学ぶ必要はありません。ただしそうでない人は実際の利益や必要、あるいは興味にかられて、英語を学びます。
私もその一人です。

ところが一般論として、とくに一定の年齢以降は、語学の習得には多くの時間やお金を必要とします。

英語母語話者はこういうことにリソースをさく必要がないので、その分得をしているわけです。
かつての大英帝国や、戦後の米国の覇権のおかげでしょう。

あるていど敏感な英語学習者ならば、以上のような話はどこかで耳にしたことがあるかと思います。
私も大枠では賛成です。

しかし語学を学ぶことで得られる、副次的な効果もあると思うのです。
私見では、語学の副次的効果の一つにアイデンティティのゆらぎを経験できることがあります。
単純にいうと、英語を学ぶといろいろと可能性が開ける!楽しい!みたいなことでしょうか(ちょっと違うかも)

たとえば英語で話すときは普段の自分と違う一面が出てきたりします。
以前オンライン英会話をしていたとき、いつもなら口にしない愚痴が英語で出てきて自分でも驚きました。
あと英会話のほうが日本語の会話より口数が増える気がします。

ほかにも、以下のようなことがあります。

日本語で書かれていたら興味がなくて読まないジャンルの本でも、洋書ならなんとなく読んでみようと思える。
たとえば薬学の歴史を述べたDrug Huntersという愉快な本にはこうして出会いました。

英語でゲームをしようとするとき、日本語だったら絶対手を出さないだろうなーと思われるタイトルに興味がわく。
そもそも英語でなければ趣味としてゲームをしていない気がします。

英文で通販のクレームのメールを書くとき、日本語ならば使わないような強い表現を使う。
むしろそう書かないと店側にゴネられる。(ゴネられた)

こういうことを経験したとき、英語を学んでいてよかったなーと思うのです。
語学を学ぶことは他の文化を学ぶことだ、とよく言いますが、それ以外にも自分の新たな一面に出会えることも語学の魅力の一つだと思います。

ただしこれは別に英語でなくても中国語でもアラビア語でもなんでもいいんですよね。
一般的には、英語のほうが使用機会が多いのでこういうことが比較的たくさん起こる、とは言えそうですが。