私の中学・高校時代。
あの頃の僕たちは、くりんくりんだった。中学に入るために頭を丸め、新しい制服に身を包まれて記念写真に収まった。その制服は成長期の子供たちの半年後を見据えた物で、どこかだぶだぶだった。真新しい帽子に、真新しい鞄、真新しい靴、真新しい物だらけだった。
真中に、どこかその場に似つかわしくない老人が坐った。担任の門田先生である。
門田先生は早稲田大学出身であり、中学校の校長を定年になってうちの学校に来たらしい。現国が担当教科で、紳士だが少し歯が悪く、空気が抜ける。
その門田先生がいつも口にするのが、
「高い山へ登れ」
という言葉だった。
『皆はまだ分からんかもしれんが。高い山へ登らにゃあいけん。何も富士山へ登れ言うとるんじゃない。低い山は何処にでもあるが、これが高い山じゃちゅうのをみつけての』
会津八一の弟子であったという門田先生は、他にもためになるような話をしてくれたのだろうが、その言葉しか覚えていない。その言葉が果たして八一のものであったかも定かではない。
僕たちのクラスは、高校一年まで続いた。
年賀状は私が大学に入ったことを知らせる年にしか出してない。その大学たるや、早稲田ではなくて慶應だった。早稲田も受けたが落ちた。
門田先生が亡くなったことは、何年か後の同窓会誌で知った。
ところで「高い山」とは何だったのだろうか? 棺桶に入るまで分からないが、自分の高い山を見つけて極めることだと今は思っている。